昭和48年(1973年)ダイワゴルフ(現グローブライド)入社。当時パーシモンヘッドの国産化からメタル、チタンへのドライバー素材の変遷期にクラブ開発に携わる。手掛けた高反発ドライバーにおける彼の設計理論は、ダイワイズムとして後の同社のクラブ開発に大きな影響を残した。
ダイワの名機「GⅢ」は彼が在籍していた時代に源流の設計が醸成され、現代にも受け継がれている。GⅢのネーミングは氏の発案によるとされる。
独立後、有名メーカーのOEM設計者として数多くのクラブ開発を行い、彼の遺したクラブはまだ多くが現存。2010年、東京にて逝去。